ヘルニア・モンテネグロ

 さらに前日に昼まで寝ていたのでほとんど動いてさえいない日にすんなり眠れるはずもなく、結局寝たのは28時過ぎ。起床はいつも通り8時。恐ろしい事に起きて全く身体が動かせなかった。金縛りのように半起きのような感じではなく、動かそうとしたら腰が痛くて少しでも動かそうとするととてもじゃないけど動かせない、と言った感じ。10分ほど耐えてどうにか身体が動かせるようになったので会社に行く準備をして外に出る。が、階段を下りようとして1段下りたところで激痛が走り、これは会社に行くのは無理だと判断。すぐにエレベータで降りるのに切り替えてそのまま病院へ。

 9時開始の形成外科のある病院に会社に電話をしてから9時5分ぐらいに中に入ったらおばあちゃんがすごいたくさんいてビックリした。9時頃に病院の前について、そこで電話をしていたのだけれどその間には2,3人しか入っていかなかったのでそれほど人がいないと思っていたのだが15,6人ほど中にいた。診療開始が9時で待合室の開放はもっと早いのかも知れない。中は本当に賑わっていて、スタッフは大変そう。奥田英朗の「町長選挙」という本に診療所にお年寄りが集まってレクリエーション施設として利用しているみたいな内容が書いてあったが実際にそうだとは思っていなかったので驚いた。みかんとか持ってきて食べるような人はいなかったが集まって談笑していて、ものすごく騒がしかった。そのため病院のスタッフはものすごく大きな声で患者を呼んでいて、やたらと活気があるお店のようだった。患者の耳も悪いから大きな声を出すのは当たり前なのだけれど大病院ではない診療所レベルの病院ってあまり行かないので初めて見る光景に新鮮だった。私が座っている長椅子(4人ぐらいしか座れない)に私を含めて4人座っていて、うち私以外の3人は知り合いで談笑していた。そこにさらに知り合いのおばあちゃんが来たらしく無理矢理4人しか座れないところに座ろうとしたときはビックリした。座れそうに無いことがわかると私のことを睨んできたが、私は腰が痛くてそれどころじゃなかったのでそのまま黙って座っていた。こういう状況じゃなければいくらでも譲るけれどさすがに腰が痛かったのでどうしようもなかった。
 診察が始まって簡単に状況を話すとえらく真面目な顔で「レントゲンをとりましょう!」と言われてその言い方に驚いた。撮り終わって診察に戻るとベッドに寝かされてさらに色々と押されたり曲げられたりしてやたらと驚いたが、どうやらヘルニアを疑われていた模様。模様というより医者はほぼ確信していたようだった。私と言えばそんな病気の事は全く意識の埒外にあったのでなるほど、と場違いに感心していた。結果から言うと疑わしいけれど症状としては足のしびれも特にないし、様子を見ましょう、と言うことになった。どうも構造的に腰痛になりやすい骨の形をしているようだ。飲み薬と湿布を大量に支給され、さらに腰にはベルトを巻かれる事に。ださいと思わなくもないが、これを巻いたら本当に楽になった。ものすごい高額になるのではないかとビクビクしていたが思っていたほど高くなくてほっとした。これが保険の力だよなぁと無意味に感動した。

 腰が痛いためやることもなく、長時間座る事も禁止されパソコンも長時間は使えず、かといって寝てようにも病気で寝ているわけでもないので眠れず、というなかなかに辛い時間を過ごした。寝っ転がりながら漫画を読むのも好きだったがそんな読み方は腰に負担がかかるので出来るはずもなく、また医者にも長時間同じ体勢をとるなと言われたのでちょっと座ってウロウロ、寝っ転がってウロウロというよくわからない行動をとっていた。夕飯後に薬を飲んだらいつの間にか寝ていたらしく、20時に寝て24時に目が覚めてこれを書いている。
 今日は本当に元気な時のありがたみ、というものを再認識させられた。やはり運動を全くしていないのが悪いのかもしれない。

同じ間違いを繰り返す

 同じ事を2度やる奴はバカだ、と出来る人はよく言うけれど、私のように出来ない人には3回ぐらいは許して貰いたい。というわけで昨日はまたもCiv4をやっていて更新する機会を失った。何回も書いているが、このゲームは本当に淡々と面白い。山あり谷ありという面白さの波があるわけではなく、強いて言えばなだらかに下っていく感じだろうか。最初が一番面白くて徐々に面白さが減って行く。ただターン制のゲームで1ターンにはそれほど時間がかからないので「もう1ターンだけ」「もう1ターンだけ」のような感じでいつの間にかものすごく時間が経っている。今回も昨日の23時から始めたゲームが、気付いたら8時を過ぎていた。延々と9時間もよくやり続けたものだと自分でも感心する。
 そういったわけで、寝たのは32時半(8時半)起きたのは13時半。目覚ましをかけていたからこの時間に起きることが出来た。目覚めは果てしなく悪く、起きてからしばらくはあまりのだるさに動くことが出来なかったほど。とは言えぐっすり寝てしまうと翌日に差し支えがあることだけは間違いないため強引にでも目を覚ます。今日はかねてより美容院に行き髪を切る予定だったのでPCの電源を入れ、Civ4を起動してプレイ開始。気付いたら18時を回っていた。同じ事を3度やる奴はバカだが、私はバカだ。

 強制感、というのに弱い話を前に書いたと思うが、本当に弱い。何かをしなくてはいけない、もしくはなにかをしなければいけない、という状況に陥るとつい逆の行動をとってしまう。湿っぽい雰囲気で「ここで笑っちゃいけない」という時に吹き出してしまうとか、確実に押しちゃいけないボタンを押したりとか。他人に迷惑がかかるような行為は何とか自重できるけれど利害関係が自分しかない場合かなりの高い確率でそれをやらかす。勉強しなければ自分が困るのにしないとか、今回のようにどこかに行って何か買わないといけないのに買わないなど。ただそういう事が続くと、いつの間にかやる気モードの自分に変わっていてそう言った懸念事項のようなものを全てこなしてしまうときがある。その時の私が一番立派な私で、残りの私は多分基本的に駄目な私だろう。割合で言うと駄目:立派=29:1ぐらい。1ヶ月に1日ぐらいは色々頑張る日がある。

 全然関係ないがポジショントークの話。よく客観的に見ろ、という事を言ったりブログなどに書いたりする人がいる。しかし、本当に客観的な情報というのは神以外にはわからない。その物事に関する100の情報を集め、それを全て考慮していたとしても101個目がある可能性を否定できないし、その101個目が事態を劇的に変えるものである可能性も否定できない。だから客観的な情報などなく、あるのはただ単に複数の主観が入り交じったものでしかない。大体科学自体がそういったもので、複数の人がそれぞれ別の観点から見てそうだというものを事実であると規定しているだけでそれがひっくり返る可能性を否定していない。科学における事実なんて物は過去から未来への橋渡しである現在においてだけ存在する不安定な物だ。
 科学でさえそうであるのに、人の人に対する判断なんて客観的に出来る訳がない。いくら人生経験が豊富で、数々の苦難に打ち勝った経験を持つ人であっても他人の問題は解決できない。例えばある状況に100回陥って、その100回を同じ方法で乗り越えた人がいるとする。だからといって同じ状況に陥っている他人が同じ方法で乗り越えられるかはわからない。その人が持っているものも経験も年齢も立場も地位も、何もかもが人によって違うからだ。そういったものを理解していない人が多いように感じる。
 何かを相談されて答えて、その通りやったのに出来なかった場合にその人が悪いように言ったり、人が陥っている状況だけ見て何らかの判断だけを下したり、酷いので言えば大上段に構えて批判したりなど。最初に書いたが人は自分の置かれている位置から見える物だけについてしか語れないわけで、見えていない物の存在を否定することは出来ない。だからどんな人でも、人に関して言う限り(科学的な話ではない限り)ポジショントークでしか物を語れない。客観的な判断などなく、主観的な判断しかない。だから誰かに何かを言うときも、逆に誰かに何かを言われたときも、その内容はあくまで「ポジショントーク」でしか無いことを留意する必要がある。

 いくらゲームにかまけていて自分の事をおろそかにする人間でも、さすがに人との約束はまだ守れているようで、実家に向かう。しかし今日が母の日であることをすっかり忘れていた。家にカレンダーが無いから分からなかったのだけれど、もっとアンテナを広げていればわかったのでやはり少し気が抜けていたのだろう。親が期待していたかどうかはわからないけれど、こういったときにケーキの1つも買って帰るのが我が家流で、事実兄弟は買って帰ってきた。2人とも買って帰らなくてよかった、などという意見もあったけれどやっぱり自分が忘れていた事はショック。なんだか今日は失敗だらけで久々に少し自省をする日だった。いい加減同じような事を繰り返すのだけは避けたい。

本屋で本を探す

 枕が変わると寝られないからか、出張でホテルに泊まったときは大抵眠るのが遅くなる。今回も寝たのは28時頃、起床は7時。さすがに出張先で遅刻するわけにもいかないので携帯の目覚まし+iPhoneの目覚まし+モーニングコールのトリプルアタック、しかも全て別々の場所に置く、という手段を使ってどうにか起きることに成功。しかし当然のことながらやたらと眠くて大変だった。起きる時間が一定(毎朝8時とか)の場合は寝る時間が遅くなっても割と普通に起きることが出来るが時間が早まると起きるのが難しいように感じる。普段3時に寝て8時に起きていて、これが4時に寝て8時に起きるのであれば簡単にできるが2時に寝て7時に起きるとなると少し難しい(出来なくはない)。そう考えると人間の習慣というものの力はすごいもんなんだなとつくづく思ってしまう。パブロフの犬、という言葉があるけれどあれと同じように意識して居ないけれど無意識にとっている習慣的な行動がいくらでもあるのではないだろうか。

 仕事はいつもの出張と同じく作業量的には大した事はないけれど時間は拘束されるタイプのもの。朝8時過ぎから仕事だったが、まともに動き出したのは10時過ぎで、その間は単なる待機要員としてそこにいただけ、というような形になる。こういうのは面倒くさいと思ってしまうがよくよく考えて見ると接客業のバイトなんてそんな感じで、客が来ない間は特にやることが無くてもいなければならない。自分もやっていたからよくわかっているはずなのに、今となってはそんな時間の使い方は無駄なように感じてしまう。なんだかんだいって気付かないうちに社会人の意識が身についた、という事なのかも知れない。

 新入社員研修の話。会社内のポータルサイトから新入社員の研修の様子が確認できる(講師のブログという形)のだけれど、そこに度々登場するのが「コミュニケーション力」というもの。あれがどうもわからない。分からないというか、そういう曖昧な言葉でぼかして、適当に言いくるめている印象を持ってしまう。反論が出来ない言葉を一方的に押しつけて得意がっているのでは? という感じ。と言うのもその「コミュニケーション力」というのを定量的に測るにはどうすればいいのか、という話は一切無いからだ。例えば「握力をつける」というのであれば握力計のようなもので計測して元の力と練習後の力を比較することが出来る。でもコミュニケーション力というのはそれが出来ない。誰かの主観で「ある/ない」が勝手に測られるだけだ。そもそも言葉自体の定義も曖昧で言ってる側と受け取ってる側で全然別の事を考えて居る可能性も高い。そんな中で押しつけてくる「コミュニケーション力」なんて何の意味があるのだろうか。どう考えても「言っておけば間違いない」から言っているだけだ。コミュニケーション力と言われたって、接客業だとかSEだとかプログラマとかによっても違うし、同じ接客業だってファーストフードとレンタルビデオ店では全く違う。エロDVD借りに来た人に「ご一緒にこちらはいかがですか?」とか勧めたりするのは間違っているだろう。そんな風に反論の出せない言葉で大上段から押し切るのではなくて、例えばケーススタディなんかでこういう場合にはどうすればよかったか、などと議論させた方がよっぽど力になるし、それぞれが考えるようになるのではないだろうか。
 そして「とにかく仲良くすること」をコミュニケーション力と呼ぶのはいい加減止めた方がいい。仲良くなんてなくたってコミュニケーションはとれるし、友達のような間柄になったからと言ってそれがコミュニケーションがとれているとも言い切れない。大切なのはコミュニケーションをとって何をするのかであってコミュニケーションをとる事自体を目的としてしまうと本末転倒になりかねない。

 仕事の帰りに同期から「本屋に寄るのであればあったら買ってきて欲しい」と言われた本を本屋で探したのだが全然見つからなかった。帰りに秋葉原にも寄ったので数店の本屋を覗いたのだがどこにも売っていない。秋葉原ヨドバシカメラの7回にある有隣堂は店内端末から在庫検索が出来るのでしてみたのだがその本はもちろん、その人が書いている本も1冊も売っていなかった。
 となればあとは必殺のAmazonさんに期待するしかないわけで、早速その場で検索してみたのだがAmazonにも売っていない。しかもこちらも有隣堂と同じくどの本も在庫がなかった。そのせいで俄然興味を持ったのだがどうも有名な人らしい。ジャック・アタリという著者で、フランスアタリでは有名な人のようだ。それ以上に面白いのはその頼んできた人がそういった本を読むような人に見えないこと。しかしそう思ってしまうということはやっぱり自分はまだ人を見かけで判断しているのだなと少し考えさせられた。見た目で判断するのはある意味当たり前の事だけれど、「この人がこんな難しそうな本を!?」的な事を思ってしまっていたのでどこか侮蔑的な目を持っているのかもしれない。恥ずかしいことだ。

名物を食べる

 7連休という長い休暇も終わりを告げたにも関わらず、名残惜しいのか眠りについた時間は29時を越えた。起きたのは8時。実質2.5時間睡眠。こういうはたから見たらアホにしか見えず、実際にアホ以外の何者でもない行為をしょっちゅう私はやっている。
 どうも昔から破滅志向があるようで、自分からでも他人からでも期待を裏切るような、一番やってはいけないタイミングでそれを行う傾向がある。全国に展開するシステムの集約サーバの前に立つと電源ボタンを押したくなる、という感じ。もっと卑近な例でいうと、今回のように仕事があるのに寝るのが遅かったり試験前に全く勉強をしなかったり、これをやったら相手が怒る、とわかっているのにあえてやるといった手合い。
 破滅志向と書いたけれど実際には真面目にやって出来なかった時に自分に実力が無いとわかるのが耐えられないのではないだろうかと考えている。つまり勉強して試験に受からなかったり、人と仲良くなろうとしてもなれなかったり、万全の体調で試合に臨んで勝負にならなかったり、といったことが怖く、わざとそれをやめてしまうような行動をとるのではないだろうか。もしくはそういった感情があってそういった行動を多くとるようになり、いつしかそれが自分の行動様式として定着してしまった可能性もある。三つ子の魂百まで、というところか。

 仕事は膨大に溜まっていたメールのチェックから。平日に会社を休むと一日辺り100通以上のメールがメールボックスに溜まり、2,3日いないともうメールボックスの容量が多すぎます、という警告メールが管理者から送られてくるぐらい、大量のメールが飛び交っている。が、本当に確認しなければならないのは恐らく10分の1以下で、それ以外はとりあえずCCされて送られてきたものばかり。とにかく証跡というものを重要視し過ぎていて「確かにメールをこの日この時間に送った」という証拠を方々に送りまくっている。はっきり言ってスパムとしか言いようが無い。それ以外にも購買関係のメールや電力工事関係のメール、サーバのバックアップのメールなどが定期的に送られてきて地味に容量を圧迫してくる。雑事なんかを多く割り当てられている証拠でもあるのだけれど、問題がないのにたくさんメールが来るのでいざという時にも読み飛ばしてしまいそうで怖い。
 仕事に行って人に指摘されるまで気付かなかったのだが私は実は今日名古屋に行かなければならなかったらしい。以前確認していた時は金曜日の夕方に行くように割り当てられていたが、知らないうちに今日に変わっていた。そのメールも確かに出ていたので文句を言うのも筋違いのような気はするけれどそれを決めた人も少なくとも朝から顔を合わせていたのだからせめて口頭で一言いって欲しかった。もしかしたら嫌われているのかも知れない。構わないが。

 そんなわけで名古屋に向かう。10回以上名古屋を訪れているが名古屋っぽい物を一度も食べたことが無かったので一度ぐらいは、という気になり名古屋駅から近いやばとんというお店に味噌カツを食べに行った。

ヤバイとんかつ

 全然お腹が空いていなかったのにお店の人に勧められるまま「わらじとんかつ」の定食を注文。しかも途中でご飯が足りなくなったのでおかわりまでした。しかし確かに東京にいたら食べることがない味だったので貴重な体験をした。味も「超うまい!!!!!」と大絶賛するほどでもないけれど、一ヶ月に一度ぐらいは食べてもいいかな、というくらい美味しかった。名物にうまいものなし、なんて言葉もあるが私が各地で食べた物は今回の味噌カツも含めてどれも美味しい。私の場合臭いが強い物(しいたけとかセロリとか)以外は苦手な物がないので何でもおいしく感じるだけかもしれないが……。

久しぶりに人と会う

 ここ数日の私の生活を見ていると寝る時間起きる時間の面でかなりおかしな生活をしているのが見て取れるが、昨日は結局31時就寝の11時半起床。4.5時間睡眠で起床。私にしては珍しく7時に寝たのに午前中に起きたのは約束があったから。就職した配属が飛行機で1時間程度の場所に行ってしまった友達が帰ってきていたので会いに行くため。会うのはその友達だけではなく関連の友人と会うために出かけた。
 初めて会ってから10年ぐらい経つ間柄ながらよくもまぁこれだけ長いこと友人関係が続いたなと思う。私の場合は自分から連絡を取ることはほとんど(と言うか全く)無いので頻繁に連絡を取ってくれる人がいない限りはこういう関係が続くことはなく、そう考えるとありがたいと思う。就職をしてから何年も経っているので子供が居る人もいれば、何も変わらない人もいる。でも話している内容は当時とさほど変わらないし、関係も変わらない。こういうのは貴重だ。

 昼飯を食べて遊んで夕飯を食べる、という流れだったのだけれど、夕飯の時は親の話や健康の話が出ていて、さすがに年を取ったなぁという話も出た。飲み屋ですぐ近くの席に大学生とおぼしき集団が大騒ぎしながら飲んでいて、そこから漏れてくる会話の内容を聞いて、年を取ったんだなぁという話をした。昔の友人と会うと気持ちまで当時に若返ったような気持ちになる事があるけれど、会話に出てくる内容はなんだかんだで変わっている。健康の話の他には親の話や仕事の話など。やっぱり気持ちだけ若くなったように感じても実際は年相応の話をしているようだ。ただ、当時どういう話をしていたか、という話も出てバイトの仲間内だったのでやはりバイトの話が多かった、けどそれ以上に中身の全く無いような話もたくさんしていたね、なんてことで盛り上がった。その面だけ見ると今も中身のない話をしているので大して変わってない。
 でもそれ以上に思うのは、そういう中身のない話をしても楽しいということ。友達なんてそれだけでいいじゃないか、なんてことを切に思う。例えば趣味関係の知り合いなどで、言っていることは役に立つけれどどうしてもその人の事が好きになれないし趣味以外の話題なんかは話しても全く楽しくない、と言うこともある。と言うことは友達関係というのは趣味が一緒なら仲良くなるわけでもないし、特に接点なんて無くても仲良くなる事もある。人間関係ってつくづく不思議だ。

 惜しむらくは色々と話していたら22時を回ってしまい、漫画が買えなかったこと。すでに2週間ぐらい買っていないと思われるので恐らく続き物で買い逃している漫画があると思われる。新刊ゾーンに置いてない物は既にわからなくなってしまうのできっとさらにその次の巻が出るまで気付かずに買い逃し続けてしまうだろう。もしその買い逃している期間に最終刊が出てしまっていたらこのままずっと手に入れられない可能性がある。そう考えると本当に恐ろしいが、かといって何が出ていたのか調べる気力もそれほど無い。でも私が買う漫画は全2巻とかで終わってしまう漫画も多いので、やはりきちんと調べた方がいいだろうか。

 GW中は家族以外で今日が人と話したのは初めてだったが、よく2chなんかの引きこもりスレに書かれているような「上手くしゃべれない」と言うことは無かった。だからそういう風になる人というのは驚くほど長い間誰とも話していないと言うことになるのだろう。個人的にはそうなるくらい誰とも話さずに引きこもりたいと思うが仕事をしている内は無理だろうし、仮に仕事を辞めたとしても何らかの手段で食べて行かなければならないのでそれも無理だろうから「人と話して無くて声も出なくなる」というのは本当に羨ましい。
 

時間を忘れる

 恐ろしいことに早く寝ないと、と言ったその日(昨日)にきちんと24時半には寝て、起床は6時半。一気に生活が元に戻ったというか、戻りすぎて早起きしすぎてしまった。毎日大体5時間寝れば復活するのでちょっとたくさん寝てしまった。でも変な時間(一般的には正常な時間だが)に寝たせいで夜中に2回ぐらい目が覚めた。3時頃と4時半頃に目が覚めたので睡眠の周期が90分ぐらいってのは正しいのかも知れない。睡眠の周期なんて普段から意識してないけど。

 朝起きて、久々に朝ご飯を食べた。と言っても昨日の買い置きのおにぎりを食べただけ。昨日おにぎりを買ったときに久々にコーラを買った。驚いたことに2リットルのペットボトルが売っていた。コーラとかの炭酸飲料は1.5リットルのものしかないと思っていたのでビックリした。店で持った時は1.5リットルだと思って持ち上げたため、重さがあまりにも違っていて落としそうになるくらい。そして買ってきて気付いたが、冷蔵庫の牛乳とかを入れる場所(扉側)に入らない。そのため冷蔵庫がただでさえ小さいのに非常に場所を取るところが何とも言えない。が、最近は自炊さえもしていないのでほとんど問題ない。
 買って実際に飲んでみて思ったのが、2リットルもいらなかった、ということ。そもそも炭酸飲料を飲まないので500mlぐらいで十分だったと少し後悔。しかし2リットルで168円だったので値段を考えると、というかコンビニで500mlを買うのと同じぐらいの値段で買えてしまうというのが恐ろしい。中身にはほとんど値段がかかってないということなのだろう。

 今日は朝から何をしていたのかというと、ゴールデンウィークの頭の頃と同じようにずっとCiv4をやっていた。実際にやっているのもそうだけれど、それ以上にニコニコ動画のプレイ動画や、ネット上の情報などを読んだりしていた。ある程度の難易度までは余裕で、適当にやっていてもクリア出来るのにそこから1つ難易度が上がると途端にクリア出来なくなるのでやり方が悪いのだと思い参考にすることに。ただニコニコ動画にアップされているようなものはそれ自体がネタになるような特殊なプレイ方法やすごすぎて素人(要するに私)が動画だけ見ていても何でそうしてるのか、とか酷いときは何をしているのかすら分からないことが多く、そのための知識を付けるために関連のサイトを読むなどしていた。
 私は基本的に人から学ぶ事がとても多い。説明書とかを熟読して出来るようになるわけではなく、他人がやっているのを見て出来るようになっていくということ。だから何をやるにしてもまず他の人がどうやっているのかを確認する。三国志大戦もそうで、ネット上にアップされている動画をものすごい数見ているし、2chなんかも確認して参考にしている。これは格闘ゲームなんかもそうで、他人がやっているコンボを真似して自分も出来るようになったりすることが多い。
 逆に自分の友人にもいるが独自の発想で色々と編み出す人というのもいる。例えば格闘ゲームなら攻撃のフレーム数(攻撃発生、硬化時間のこと)を見てコンボを編み出す人や、説明書の説明から何が出来るかを考えて色々出来てしまうなど。私も昔、高校生ぐらいの時は出来た気がするのでそこまで一つの物に対して入れ込む事が出来なくなってしまっているのではないかと考えている。だから同じくらいの年代でもそういうことが出来ている人を見ると羨ましい。高校生ぐらいの時は夢にまで見るほどイメージトレーニングをしていたものだけれど、今ではそういうことはほとんど無い。よく言えば大人になったのだろうけれど、悪く言えば集中力が落ちているのではないだろうか。

 朝起きたときはどうだったのかわからないが、気がついたら結構な量の雨が降っていて、元々は外に出るつもり(が少しはあった)のだけれど全て取りやめに。外に出るより家にいた方が楽しいので全く問題なし。ただ家で1つのことをずっと続けていると時間の感覚が全く無くなってしまうところだけはいただけない。冒頭で朝6時に起きたと書いたが、今これを書いているのは既に翌日の5時過ぎだ。生活時間帯を戻そうとして結局直せてないというところが何とも私らしいと言えば私らしい。こういうぼんやりと頭を使う行動は出来るけれど、やっぱり熟考するのはほとんど出来なくなっている気がするのがなんとももどかしい。

のんびりとした短い一日

 同じ轍を何回も踏みまくっている31時就寝の、これまた昨日と同じレベルの15時起床。なんというか非常に時間を無駄にしている気がする。が、冷静に考えてみると単に時間がずれているだけなので実際は別に何も損をしているわけではない、と考える事も出来る。誰かと時間を合わせる必要もなく、仕事なんかも一人で完結する(例えばイラストレータとか)ならば、特に問題もないだろう。ただ私は平日9時から普通に出勤して仕事をしているので、この生活をしているのはかなりリスクが高い。仕事が始まる5月7日には元の生活に戻さなければならないからだ。そろそろ本格的に生活を戻す事を考えないとならない。

 朝起きて、昨日と同様目を覚ますためにシャワーを浴びる。髪もかなり伸びてしまっていて手入れが非常に面倒くさい。早いところ切りに行く必要があるが、どうにもこうにも面倒くさい。間違いなく切りに行くべきなのに「本当に切る必要があるのか」などとどうでもいいことを考えてしまい、そのうち面倒くさくなって行かなくなる、というのを繰り返している。これも仕事が始まるまでに切りに行かないと駄目だ。そう考えるとやることは盛りだくさん。しかしこのゴールデンウィーク中に美容院がやっているのかどうなのか、そこがわからない。それの調査もしておく必要がある。電話を一本かけるだけだけれどそれが異常に面倒くさいのだから困った物だ。

 電話といえば、私は電話が嫌いだ。嫌いというか、かかってきた電話はほとんどでない。親からかかってきた場合は出る(緊急の電話の可能性もあるから)が、他からの電話はまず出ない。出るのはその日に約束をしている人からの電話か、仕事の時間中の会社関係の電話だけ。仕事の電話も仕事の時間外であればでない事が多い。コンタクトを断絶しているわけではなく、何か用があればメールか留守電に入れておいてくれとは言ってある。
 何故でないのかと言うと、単純に出る必要が無いと考えて居るから。電話なんて相手の都合でかけてくるものに何故自分の時間を取られなければならないのだろうか。私の考えではそうなのに、電話をかける側の人は「かかってくる電話に出るのが当たり前」と考えて居る人が多いように感じる。恐らくそういう人は自分にかかってきた電話も漏らさずに出ているのだろう。時間の使い方なんて人それぞれだからその人の時間の使い方には何も言うつもりは無いけれど、それを人に押しつけるのだけは止めてもらいたい。だから私は自分が電話をかけたときに相手が出なくても全く気にならない。ただ自分から電話をかけることなんてほとんど無いが。

 今日は先日の片付けの時に後回しにしていた机の上の整理を。ほっとくとすぐにどこもかしこもぐちゃぐちゃになってしまうのでちょこちょこ片付けないと何も出来なくなってしまう。必要な物でごちゃごちゃしているのであれば特に問題だとも思わないが、例えば雑紙やレシート、Amazonの納品書や読み終わった漫画や小説など、特に現状必要としない物で溢れているのは場所を占有だけして何の役にも立たないので勿体ない。逆に三国志大戦のカードなんかが散らばっていると、デッキを考えたり出来たりするのでそれは無駄とは思えない。机の上はピンキー(フィギュアの方)も10体以上あるのでそれの埃を落とす作業なども平行して進めた。その甲斐もあって、中々綺麗にすることが出来た。多分普通の人の主観からすると綺麗とも言えないと思うが、私にとっては十分な程度にはなった。

 他にやったことと言えばニコニコ動画を色々と眺めていたぐらいなもので、ゲームなどもしてないし本もほとんど読んでないし、のんびりとした一日だったとも言える。ただ早く寝るつもりで動いているので一日が非常に短い。それでもまぁこんな一日を送れるのは休みの日ぐらいのものなので貴重な一日だったと言えなくもない。