予想外の事に驚く

 寝よう、と考えてからとらドラPをやり始めて、寝たのが結局31時(朝7時)、起きたら14時を過ぎていた。さすがにこんな生活を毎日続けていたらまずいと一念発起し(しまくってる気がするが)、目をしゃっきり覚ますためにシャワーを浴び、早速活動開始。といっても何をしたわけでもなく、昨日洗ってなかった食器を洗い始めただけ。しかも食器を洗うのであればシャワーを浴びる前の方がよかったと思わなくもない。
 食器を洗い終わってから久々にブログを確認。忘れていた訳でもないのだけれど、長文を書くとなると大体1時間ぐらい時間を見ておかないとならないし、なにより書きたいこと(書けること)がたくさんありすぎて頭の中に考えがまとまらなかったのでしばらくほったらかしてしまった。昨日の時点でゲームを買った事自体は書いたのだけれど、コメントが来ていたのを確認していなかったのでコメントを確認。そしたら更新していない間に「更新していないんですね」というメッセージと、久々の更新に対してのコメントがなされていた。
 これが私には本当にビックリした。いや、毎回更新したら見てくれている人が居たことは知っているし、大変感謝しているのだがずっと何となくで見て貰っているのだと思っていた。更新したら見に行くけど普段から楽しみにしているってわけでもないよ、というものなのだとずっと考えていた。だから更新するしないというのは自分の心構えだけの問題であって、気分が乗ったときだけやればいいや、というかそこまで考えず適当にやればいいやなんて気持ち。そんな風に考えていたので誰かが期待していたというのが本当に驚いた。のでもう少ししょっちゅう更新しよう、などと考えるに至った。
 ただ特定の誰かのために書くわけではなく、これからもそれを読んで誰かにとって何らかの影響を与えられるような事を書いていきたいなと思う。あくまで自分が書きたいことを書くのであって誰かが書いて欲しいと思っている事を書くわけではないよ、ということ。私に何か書いて欲しい事がある人もいないだろうけれど。

 そんなわけで、というわけではないがブログを2エントリほど更新。昨日からやり始めたとらドラPについて。元々ブログは漫画について書くところなのだけれど、漫画についてはネタバレの問題があってそれが自分の中で消化し切れてない。何かを書いた時点で既にネタバレなんじゃないか、それを書くことによって作者に迷惑をかけてるんじゃないか、などということを考えてしまっている。まぁこれもそのうち答えが出るだろう、深刻に考えているわけではない。

 ブログの更新をして、バーチャロンの対戦をして、それから実家に戻る。ゴールデンウィークの帰省とというわけではなく、単に実家に飯を食いに行ったというだけの話。そこで定額給付金を貰った。なんというか、忘れた頃にやってきてビックリ。そんなものがあることをすっかり忘れていた。だから素直に嬉しかった。親はまだちょっとお金を出して後でばーんと回収しようとしてるんでしょ、などとテレビに影響されまくっていたがとりあえず聞き流しておいた。

 23時目前に家に帰り、素直にその時点で寝ればよかったのだがCiv4をちょっとだけ、の気持ちでプレイし始める。で気付いたら27時を過ぎていた。それから日記(これ)を書き始め、また今日も30時コース。そろそろ本当に何とかしなければ社会に復帰できそうにない。果たしてゴールデンウィークが終わるまでに生活を元に戻せるだろうか。

ゲームによる変な生活化

 日記を書き始めてはや2ヶ月半ぐらい(多分)、昨日一昨日と初めて書き漏らしたというか、お休みをしてしまったがその理由がまたすごい。どこかに出かけていたとか誰かと一緒に何かをしていたとかそう言うことでは全く無い。逆にそういった状況であれば何とかして書こうと今までの夜勤の時のように空き時間で更新、なんてことをやる余地がある。そうではなく、気がついたら時が過ぎていたというのが真相。
 Blogの方にも書いたが一気にゲームを4つほど購入して、それをプレイしていたら気がついたら日記を書く時間が終わっていた、というなさそうで本当の話。書く時間が終わったというのは物理的な時間がなくなった、という話ではなくこのはてなダイアリーの仕様(というか仕様で規定されている個人の設定)で、日記内の日付が変更される前までに書くことが出来なかった(その日の日記が書けなくなった)という話。
 はまってしまったというか、やっていて気付かなかったのはCivilization4という洋ゲー。海外でははまりすぎて仕事を失った人がいるなんて話も聞こえてくるほどのゲームで、日本では多分あまり知られていないゲームだと思われる。私の中では過去(かなり前)にCiv1か2が出て、面白いと言っていた友人が勧めてくれたのだがその頃は確かAoKAge of Empire Age of Kings)あたりをやっていて、面白さで言えばAoKの方が断然上だったので見向きもしなかった、という思い出がある。では何故今Civilization4なのかと言えば、たまたま見たニコニコ動画にアップされているプレイ動画を見て面白そうだと思ったから。あとはゲームを最近あんまりやってないし、面白そうなゲームがあればやってみたいと思っていたことも重なって買ってみた。AoKなんかとは趣旨こそ似ているものの、やってみたら全然違うゲームで、Civの方が断然時間がかかる。AoKはせわしなかった。
 このゲームのすごいところはやっていて「面白い!」と思わせないところだと思う。逆にやり始めると黙々と続けてしまう節がある。例えて言うならインゲンの蔓をむく作業とかドミノを立てる作業とかそういった感覚に近い。要するにやり始めたら時間を考えずに黙々と続けてしまう何かを持っている。
 そんなわけでここ3日ほどを2日のペースで生きてしまったので日記の更新が漏れてしまった。36時間周期で一度寝て、変な時間に起きてまた変な時間に寝る、といったところ。実際にはゲームのせいだけではなく休み直前の夜勤の影響も多いと思われる。夜勤自体も夜通し起きて昼頃帰って寝る(寝なかったけど)生活になるから。

 そんなわけで3日を2日の感覚で消化して6時起床。恐らく寝たのは遅かった(25時以降だと思う)のでまだまだ眠たかったのだが生活を元に戻す事を考えて起きた。ただ起きてすぐにまたCiv4を始めたのが間違いの始まりで、本来なら10時開店に合わせて秋葉原に行こうと考えていたが時間を考えずに黙々とやり続け、気付いたら12時を回っていた。GWでこんな時間では秋葉原の人はものすごいことになっているであろうと予想して秋葉原に行くのは止めることに。代わりと言ってはなんだけれど散歩に出かける。小一時間ほど歩いて帰りに買い物して帰宅。帰ってきてからバーチャロン対戦。29日にダウンロード販売開始してからまだ2回目だけれど今日でネット対戦が100戦を超えた。57勝43敗で5割を上回っているのでまぁまぁといったところだろうか。初めてやる人が多いからかテムジン、フェイイェンエンジェランが結構な数がいた。しかしランクが上がってくるとグリスボックが多かった。このキャラは普通に強くてライデンで勝つのは至難の業だ。といっても自分で思い通りに動かせてないので自分の操作が駄目なだけだが。

 夕方過ぎてから久々に自炊。時々突発的に出てくるカレーが食べたい熱に負けてのこと。カレーは何故か外で食べるとアレルギーが出るので自分で作るしかない。本格的カレーのところなら大丈夫なのだがチェーン店系のカレーを食べるとほぼ100%アレルギーの症状が出てしまう。ぶつぶつが出来て舌がピリピリとしびれるという症状が食べて5分と経たないうちに出てしまい、体調が悪くてたまらなくなる。恐らく貝類、もしくはエビのアレルギーを持っているのでそれだと思うが本当のところはわからない。
 そんなわけでカレーを作成。適当に作っているのに実家で食べて居る味がするのは単にルゥが同じだからなのか、もしくは無意識のうちに実家の味にしているからなのか……。

 全然関係ない話。ゲーム、という趣味はそれ単体であれば(要するに他にも趣味がなければ)かなり金がかからない趣味だ。家ゲーであればという条件がつくが。ゲームにもよるけれど、RPGSLGであれば社会人なら一週間はかかる。実際には一ヶ月ぐらいかかると思うが敢えて一週間で考えたとしても、初期投資を考えなければ5000〜8000円程度しかかからない。それで毎日4,5時間やったとしても一週間はかかる。これがアーケードゲーム(ゲーセンゲーム)であれば、例えば私がやっている三国志大戦であれば大体2時間ちょいで3000円ぐらい使う。仮に毎日やってたら一週間で21000円もかかることになる。他にも漫画であれば1冊当たり大体500円だけれど10分〜15分で読み終わってしまうのでもし同じ時間を漫画で潰そうとしたら一日辺り6000円ぐらいかかってしまうことになる。対抗できるのは文庫本ぐらいのもので物にもよるけれど大体1冊当たり3〜4時間、価格で言うと700円ぐらいで一週間で言えば5000円ほどになる。
 学生であればお金がかからないとは思うけれど、何故か社会人になると友達と会って遊ぶだけでもお金がやたらとかかる。飲みに行って5000円とか普通にあるし、他にも何かとお金を使う。それに人と予定が合わなければ結局出来ないので相手の予定にも左右されてしまう。そう考えればゲームというのは本当にコストパフォーマンスがいい趣味だ。それが(ゲームが)いいか悪いかは置いといて。ずっとやるよりは他のことをやった方がいいような、とも思わなくもないけれど昔から24時間ぶっ通しでゲーム、とかやっている私に言う権利は無い。

 なんだかんだで今日も散歩に出て買い物をした数時間以外はずっとゲームをやっていたわけで、なんだかもう独自の時間軸で動いている感じがしてならない。このままGWが明ける頃になっても変な生活を続けていたらどうしようかと思うくらい怖い生活である。

人間なんてららら

 自分でも良く分からない時によく分からないことをやることはあるが、今日ほど自分の行動の意味が分からなかった時はないんじゃないか、というくらい意味が分からない行動に出ていた。といっても別に奇行に走ったり犯罪行為をしたりなんてことをしたわけではない(当たり前だ)。
 もうそもそも朝の段階からおかしく、一昨日の20時頃寝たにも関わらず昨日の1時頃には既に目が覚めていたのだ。その前の日は夜勤の準備で遅く寝たとはいえ、四国まで行って帰ってくるという強行軍をこなたので昨日の時点でかなり疲れていた。にも関わらず20時まで起きていたし、一度寝て変な夢で目が覚めた後ずっと起きたままで居た。そのまま今日の朝を迎えたのだ。しかも会社なのに。なのでそのまま会社に赴いた。今日は基本的にはみんな休みなので、いつもは100人以上はいる部屋も3人だけだった。そしてやらなければならない仕事もそれほどたくさんでもなく、3人で分担してのんびりと、終わらせる事ができた。今日の収穫というか再確認したことは、今日の仕事云々ではなく、このままいくと秋頃ヤバイよね、という話が3人の中で一致したことだ。今日きた3人はどちらかというとプログラムをガリガリ書いたりする仕事では無く、社内の決裁文書を書いたりRFPをかけたり、調達したハードを構築したり、といった役割の人間で、その3人が「絶対ヤバイ」ということで一致したということは、秋から来年の春にかけてまたえらく忙しくなるに違いないということ。正直ちょっと勘弁して欲しいなぁという話をした。人数がいれば何とかなるのだけれど、その人数が全くいないことが予想されるので今から憂鬱だ。
 仕事が終わってから家に帰り、すぐ寝ればいいものの買ってきたゲームに延々と興じてしまい、気がついたら24時を回っていた。やっていたのはシヴィライゼーション4という洋ゲーで、面白いと評判だったので買ってみた。実際やっていてもよく分からなかったのだけれど、コツコツと進めていたらそんな時間になっていた。とにかくマニュアルも分厚すぎるしやることも出来ることもたくさんあるしで、一度や二度プレイしたぐらいでは何も分からなそうな気がする。
 そしてその時点でまた既に24時間以上起き続けていたというのに、バーチャロンがやりたくなり×箱の準備に。一年ぶりぐらいに起動させるため、テレビと繋げたりLANケーブル繋げたりと大忙し。RoD(赤い輪の死)といわれるハード故障にはなってなかった模様。久々に起動した×箱は、そのあまりのうるささに半笑いになってしまうほど。洒落にならないぐらいうるさい。色々不愉快に陥る事が多々あったけれど、最終的にはインストールしてオンライン対戦も楽しめました。操作がむずかしいのなんの、コントローラでやるように出来ていないのにそれを無理矢理やろうとしているから本当に難しかった。ただやっているうちに慣れてくるってのが人間のすごいところ。
 それにしても上手い人多いなぁというのが感想。私が対戦した中では下手な人は一人もいなかったように思われる。頑張って攻撃を撃っても当たらないという悲しい事象に陥った。

 そんなわけでこの日記を書いている今は既に30時近く。とりもなおさずそれは既に30時間程度起き続けているということになり、誰も強制してないのになんでそんな我慢大会のような事をやっているのか本当に不思議になってくる。幸い会社が休みだからいいものの、多分仕事があったとしてもやっていたと思われるので自分で本当に変な性格だよなとしみじみ思いながら今書いている。誰かに言われたら絶対にやらないのに、自分で自分を追い詰めるようなことをしょっちゅうやっている。そんなもんなのかもね。

初四国

 他の会社の人はどうなのかはわからないが、私がいる会社は伝統的に「みんな公平」みたいな空気がある。社会主義のような話でも差別がないというような話ではなく、飲み会などの費用についておごりおごられ、接待のような物が無い。もちろん個人対個人であればそういったものもあるのだが部署の飲み会で新人の分を他の人が出すとか、会社対会社の飲み会でお客様の分を出すとか、だしてもらうとかそう言ったことがない。これはある意味会社の文化で、外から見た場合はわからないが中から見るとある意味ヒステリック的に見える。そんなわけで、おごられるという発想がまずない。ご飯を食べに行けば自分の食べた分は間違いなく自分が払う、という意識で頼むわけで、私は量を割と食べる方なので他の人よりも金額が高くなる。そんな状態で急に伝票を持って払いに行かれたらそりゃもうビックリするわけで、おごって頂くのはありがたいというよりひたすら恐縮です。今回の出張がまさしくそうで、お客さんに乞われてわざわざ四国まで行ったわけだけれど、だからといっておごって貰うことなど考えてなかったのでおごられたのは非常に申し訳なかった。そのお客さんの倍ぐらい食べていたから尚更だ。そんなわけで今回の出張はのっけから恐縮しまくりで始まったのだった。
 ただ、今回良かったのは飛行機に普通に乗れたこと。酷い動悸、息切れ的なものはあったけれどパニックになったりするようなことはなくまぁ自分でも割と大丈夫だったのが安心した。でも何が一番大きかったって、やっぱり小説のお陰だろう。素晴らしい小説は心を落ち着けてくれるというか、現実逃避させてくれる力を間違いなく持っていると思う。現実逃避自体はあまりいい言葉でもないけれど、それでもこういうどうにもならない時はやはり必要だと思う。
 今回のこの出張の旅で、ついに北方版三国志を読み終わった。全13巻を大体2週間ぐらいで読んだ計算になるから1日に1冊の計算になるかな。普通の小説でこのスピードは結構早いんじゃ無かろうか。まぁ早さなんて何にもなりゃしないけれども。それでも普通に読む人と同じだけ頭に残すことが出来るのであればやはり時間を有効活用できる気もする。早く読んでも頭に何も残ってなければ結局何にも意味なんてないし。

 出張は夜間の対応だったけれど、少し心配なこともありつつも何とか問題もなく終了。今回は何かが起こった時の人質のようなもの(何かあった時に吊し上げを食らう役)だったので何も起こらなかった事にほっとした。向こうの人もご飯をおごってくれたり空港まで運んでくれたりでいい人でよかった。
 いつも思う事だけれど電話でどれだけ嫌な対応をしてくる人だったり無理難題をふっかけてくる人であったとしても、実際に会った時にそういう態度に出る人はほとんど居ない。実際に会って話せばこっちの事もわかってくれたり相手が何故そんなことをしたのかも素直に話してくれたり、なんだかんだで状態が改善することは多い。仕事をしていると「それくらい電話で十分だろ」という程度の打ち合わせでもこっちに来てくれる人がいたりするが、そういう人間の心理のような物をわかっている人なのだろう。
 ちなみに実際に会ってもやっぱり厳しいことをいう人も居るが、そう言う人はそう言う人で逆に裏表が無い人だと判断できるのでやはり実際に会ってみることは効果が大きいと思っている。本来であれば仕事なんだから誰も彼もが裏表なく出来るのが一番なんだろうけれどそういうのはやはり難しいのだろう。

 夜通し働いて、すぐにまた東京にとんぼ返り。初めて降り立った四国の地は空港と夕飯を食べた場所と仕事先のみ。滞在時間およそ12時間という短い時間で、しかもやたらと寒かったので四国に行ったという感慨が全く無い。陸路を通って行ったのならまだしも飛行機だったから余計にそう感じるのだろう。帰りの飛行機は行きに比べたらやはり調子が悪くなったが、ここも本のお陰で何とか乗り切った。そのまま家に帰り昼飯を食べ、すぐに寝もしないで本などをよんだり。完全に生活時間帯がおかしくなっているがまぁしょうがない面もあるのだろう。

文字を打ちまくる

今日も夜勤なのでiPhoneから。今回の仕事は今までとは少し違い、新幹線で行けるような所ではなく、飛行機で行く他ないという場所。ただ幸いなことに仕事の開始時間は遅くて済んだのでそれに備えてのんびりとしていることができた。どれくらいのんびりしていたかというと、朝の7時に寝て、14時に起きるというほど。完璧に夜態勢の生活になったと思われる。少し前まで5時に起きて会社に行っていたと言っても信じる人はもうほとんどいないだろう。自分でも信じられなくなりつつある。

文字入力の話。入力が一番早いのはもちろんパソコンで打つことだけれど、iPhoneでも結構バカにできない測度で入力出来るようになってきた。どれくらいなったかというと、こうやってこの日記をiPhoneから投稿しようと思わせる程度には打てるようになった。これは間違いなくtwitterの功績が大きい。短めの文を何回も投稿しているうちに文字を打つ速度が飛躍的に上がったのだ。思えばパソコンはチャットで話題について行くために早く打てるようになったのは間違いない。携帯をアホほど早く打つ人もメールを早く返す必要性があってあんなに速く打てるようになったのだろう。そう考えるとおたくと女子高生という大きな違いはあるものの、動機としては似たようなものから端を発しているように思う。何だかんだで人間が思うことなのだから被りやすいのだろう。
しかしiPhoneの日本語入力はかなり秀逸な出来だと思う。これに慣れてしまうと携帯電話打つ時に非常にもどかしさを感じてしまうほど。それだけこのUIは価値あるものだと思う。使っている時は特に何も思わないけれど、別のものを使って見た時にそのよさがわかる、素晴らしいものは大抵そういうものだ。

捨てるか売るか

 書いている時も思っていたけれど、昨日の日記が存外に酷い。酷いというか書こうという意志が低いというか頭で考えずにとりあえず字を書いたような文章になっている。それもそのはずで、昨日は出張先で椅子寝り(椅子で寝ること:多分ファミ通語源)を1時間と新幹線内で新横浜から東京までの間の30分弱ほどしか寝ていなかったので眠さのピークに達していた。ピークに達した状況でもう寝るしか無いと思った後に書いていないことを思い出して書いたので無理もないような気もする。ただ、そんな文章を書いて何の意味があるのだろうか、という想いもある。最終的に単なる自己満足なのは分かってはいるけれど、誰か一人くらいにはそれを読んで何か思うところがあればな、なんてことを地味に考えて普段は書いていたりするのでそれも無いような文章であればはっきり言って無駄だろう。ただまぁ一日を記録しておくことに多少の意味はあるだろうとも思う。それだけならオンラインでやることでもないが。

 昨日は久々に「顔見知りだけどそれほど話があるわけではない」人達がたくさんいる結婚式の二次会に行ったので気持ち的にものすごく疲れた。何しろ挨拶しないのも不自然だけど話しても二言三言で会話などなくなるのだ。そういう状況で話すのはお互いにとって時間の無駄だろう。相手の貴重な時間を奪うことになるし、それ以上に自分の時間も奪うことになる。だから別に話さなくていい奴とは話さないのがお互いにとっていいことだ、と私は思っている。挨拶をして「最近どう?」なんて曖昧な質問をし、当たり障りのない事を答えあう、それが何になるんだろうかと考えてしまう。多分自分はプロ棋士などほどにはいかないけれどほんの少し先ぐらいを見ているのだろう。仕事でもプライベートでも、必要だと思えば話もするし仕事であればいくらでも相手の気分がよくなるよう振る舞える(出来ているかどうかはまた話が別だが)。でもそういう必要が無い場面ではそう言ったことは全くやりたくならないし、やる必要もない。そんな風に動いているのではないだろうか。自分でもあまりよくはわからない。
 友達はたくさん作っておけ、何かあった時に助けてくれるから。という話をよく聞くけれど、実際問題として何かあった時に助けてくれるような友達になるにはかなりの時間や経験を共に過ごす必要があるように思う。たまに飲み会で会って二言三言話すだけのような奴には誰も助けてはくれないだろう。助言とかアドバイスという名の個人的な感想を送ってはきてくれるかも知れないけれど真剣になど考えていない適当なものだ。助けて貰うようになるほどの仲になるには少なくとも自分から相手に何かあった時は助ける腹づもりでいる必要がある。自分にはそれがない。逆にそういった関係を育む時間を、「何かあった時」が起こらないようにするための勉強にした方がいいように思う。

 今日は、というかこのところの休みは地味に部屋を片付けることを目標に色々とやっている。漫画はこれからも際限なく増えるだろうし、オタクはとにかく物が増えやすいからその辺を工夫する必要が常に隣り合わせだ。出来ればもっと広い部屋に越したいけれど今のところそれも望めそうにない。恐らく二部屋ぐらいある場所に引っ越しても生活は出来るだろうとは思うが今の8.6畳家賃2万から家賃が段違いに高くなることが容易に予想できるのでそれをするくらいなら他のことにお金を使った方がいいという気持ちになってしまう。
 私は自分では中古の物というのはまず買わない。たまに絶版になってしまっている本を買ったりはするがそれ以外は漫画もゲームも全て新品を買っている。これは潔癖症というわけではなくて、そうしなければ著作者に金が入らないと考えてのことだ。本は新品を買わなければ著者にお金が入らない。中古の物は左から右に流す人だけが儲けることになる。そう言うことに少し抵抗がある。恐らくは同じような抵抗が江戸時代にもあって、そのせいで士農工商で商が形式的には身分が一番低いのだろう。あくまで生産者が上で流通者は下だ、という考えでそうなってるように感じる。
 ただ新品至上主義なわけではなく中古市場自体は必要な物だろうと考えてはいる。ある程度は裾野を広げる役に立っているからだ。中古ショップに売って別の新しい物を買う人もかなりの数がいるだろう、そういう風に見れば新品を買うことを促進するような役割も担っていると言える。
 今回そんなことを書いたのは、私が今ゲームを中古ショップに売るかどうか考えているからだ。みんなに新品を買って欲しいのであれば中古市場に流すこともない。ただじゃあ家に死蔵しておいたり、捨ててしまうのをただよしとするのか、という疑問もある。本の場合は捨てた。自分がいらないと判断した物を他人に流す、という行為に疑問を感じたからだ。ゲームの場合はどうだろうか。それを捨てることこそが失礼なのではないか。死蔵しておくのも同様だ、と思わなくもない。その辺の答えはまだ出ていない。ただ家には結構な数のゲームがあって、それは既に死蔵されているだけで、かつずっと残して置きたいと思うほど執着のあるものはあまりない。これをどうにかしなくては新しい物を置くスペースが無くなるわけで、要するに捨てるか売るかをする必要がある。必要に差し迫らないと考えないことではあるけれど、捨てるか売るか、数日はそれを考えてから決めようと思う。

眠すぎる一日

 昨日からの引き続きの仕事を朝4時ぐらいまで続け、1時間ほど仮眠を取り、さらに作業を行い8時頃に東京へ向かう新幹線に乗った。新幹線に乗った時に既に眠い状態で、普通に考えれば間違いなく東京までの道のりは全て寝て過ごすだろう。何かの準備を新幹線内でしておかなければならないということもなく、逆に今日はやらなければならないことが目白押しなのだ。だから新幹線の中では寝ておくに越したことがない。
 でも寝られないのだ。新幹線に乗った瞬間に落ち着かなくなり目がさえてしまう。それを抑えるために頭を集中させる物、つまり本やゲームや2chやTwitterが必要となってくる。何度も書いている気がするけれど、これは多分私が閉所恐怖症だからだろう。新幹線内に閉じ込められている、という状態が不安でしょうがないからだ。普通の電車ならまだいい。どんなに長くたって20分もすれば扉が開く。でも新幹線はそうではない。一度出発したら2時間走り続ける事もありうるのだ。そこが生理的に受け付けられないように思う。その証拠に今日も新幹線が新横浜を過ぎた所から東京までぐっすりと寝ていた。あまりにもぐっすりと寝ていて品川に止まったのが気がつかなかったほど。でもこれは通路側の席に座っているからこそ出来る芸当であって、窓際に座っていたら自分は発狂していただろう。自分が窓際に座って隣に人が座ったらと思うと怖くてしょうがない。

 絶妙な時間に名古屋から東京に向かったので、絶妙な時間に東京に到着をした。とすれば当然秋葉原に向かう以外の選択肢は有しておらず、必然的に、まさしく神の手に導かれるままに秋葉原に向かった。秋葉原に着いて非常にショッキングだったことが1つだけ。それは中央通り沿いの、秋葉原駅より末広町駅に近かったところに小諸そばがリニューアルされていた事だ。
 最近は夜勤が多く、朝も早かったので朝飯はマックなど、他の場所で食べていたので全く気付かなかったが、立ち食いであった店舗が椅子がよういされたものに変わっている。きっと立て直した側からしてみたら利便性を高めたつもりなのだとは思うが、立ち食いを愛用していた人間からすれば今までは適当なスペースだけを確保してさっとかっ込んで出ていくお店だったのが、椅子を用意することで人数も制限されるし座り込んで話などをしようとする輩も現れるだろう。そういったまだるっこしいところがないところが利点だったのだが失われてしまった。今後この店に行くかどうかは今のところすこし分からない。

 秋葉原をブラブラと回りたいところだったが夜勤明けで眠く、また結構な量の雨が降っている上に自分が昨日持ち出した傘が見事なほどの大きな穴が開いていたので漫画だけ買ってすぐに帰る事に。今日買った漫画はシリーズ物の中でも中身のクオリティに特に信頼が出来る物が多かった。