商人初音

 24時過ぎにベッドに入ったけれど、起きたのが遅すぎて中々寝付けなかった。恐らく寝たのは26時ごろ、起きたのは5時ごろ。喉が痛くなって体調が悪かったのでポカリスエットを飲んで2度寝。最近ずっとこんな感じ。8時ごろ起きたけれど相変わらず調子は悪い。ただ、休むほど悪いかというとそうでもないので準備をして会社に向かう。ギリギリの電車は知ってる人は誰もいなくて実に快適。やはり行くならギリギリか誰よりも早くかのどっちかがいい。
 会社に着いたら席替えをしていたのに以前の席に行こうとしてしまった。少し恥ずかしい。仕事については先週の時点でやろうと思っていたことがあったのでそれを朝から黙々と。途中1時間ほど会社の用事(今の仕事ではなく別件)で同じビルの別の部屋で1時間ほど打ち合わせ。昼飯は今日も食べなかった。体力が無いときは食べ物を食べると消化で体力を使ってしまうから。これは眠いときも一緒で、眠いときに何かを食べると消化に体力を使ってしまい起きているのがつらくなる。消化することを気にしなければならないのは病気のときと眠いときぐらいだけれど、こういう時は食べないのが一番いいと思う。食べると確実に午後仕事にならないから。
 午後は午前中にやっていた仕事を継続で。それを別の人に見てもらったりなどした。お客様に出すものだと、よくわからない文章の修正をさせられるのは何でだろうか。

 ちょっと興味深いメールを貰ったのでその内容についてここに少し書く(当人にも返事は出した)。
 曰く、私(これを書いている私のこと、メールの主ではない)はもっと優しい人だと思っていたのに、意外と不満ばかりを漏らしていてがっかりです。というような内容(超要約)。
 これは多分ブログ(『漫画読もうぜ』の方)で「作品についての悪口は書かないし、思った事も無い」というようなことを書いているからだと思う。
 私が優しいかどうかというのは多分相手の判断になるので自分ではなんとも言えないけれど、自分で自分を判断すると決して自分は優しくはないと思っている。よく色々と相談されたりするけれど、それは別に頼りになるからとか優しい言葉をかけてくれるからではなく、単に黙って話を聞いてくれるからというのと、相談した内容を決して他人に漏らさないからだと判断してる。何故そういう事が出来るのかというと単純にその人にもその人の話にも興味がないからで、相手の問題を解決してやろうとはこれっぽっちも思ってないから黙って話を聞いてるし、興味が無いから他の人に話そうとも思わないだけ。それでも人から感謝されるのは、人に自分の問題を話そうとするとその人の中で問題が整理されて自分のやるべき事が見えてくるから。だから結局は本人が問題を解決しているのであって、私は何もしてない。別に壁に向かって話しかけていても同じく解決しただろう。ただ、問題が解決するとそれが自分の成果だとは思えなくて、その結果近くにいた人、要するに話を聞いていた私のお陰で解決したかのように錯覚してしまうようだ。
 また、ブログの方にも書いたけれど、私は漫画や小説やゲームの内容については悪口は決して書かない。書かないというか悪く思った事が無い。ゲームは少し曖昧な部分がある(複数の人が関わって作っているから)けれど、基本的にこれらは芸術作品で作者の思考や内面世界を体現しているだけなので、それを楽しめないのは要するに見てる側の問題になる、という認識でいる。
 商品となって販売されるまでに多数の目を通って作品になっているわけで、どんなにたくさんの人から悪口を書かれたとしても、それを市場に供するべきだと判断した人がいたわけで、少なくともその人にとってはそれは価値があるものだと思う。それを受け手側である私がきちんと受け切れてないだけであって、それは問題があるのは作品ではなくて私の方だということだ。もちろん私も悪いわけではない。単に私に向けて提供されている商品ではないだけであって、誰が悪いってわけでもない。強いて言えばそういう作品を買ってしまった自分を恨むしかないけれど、私はそういう自分が面白さがわからない漫画、というのはそれだけで興味深いのでもしそういう作品に出会えたらその作品は、私にとってとても価値があるものになるだろう。どういう人がこの作品を楽しんでいるのだろうか、と想像するだけで楽しめる気がする。
 そういったわけで芸術に近い創作物については基本的にどんな品物であれ肯定的に捉えるべきであると考えているため、悪口を言う気がないわけ。多分読んだ人が悪口を書くことを想定している作者(いるかわからないけど)には思った通り行動してくれなくて嫌な客なんだろうな。

 でも、そういった思想とかを体現した物ではないものについては話は別で、特にシステムなんかは自分でも作っている(と言っても大したことはしてない)事もあって、改善した方がいいんじゃないかと思う点については言うようにしています。使う側に立ってみたらそういうのは面倒くさいだろう、とかは言うようにしないと作ってる側からは見えないと言うことがわかっているからです。私はもう2度と使わない可能性があるけれど、書くことによって改善されるかも知れないし問題に気付くかも知れない、そう思って書くようにしています。ただ別にもう自分が使わない可能性が高いので別に直らなくてもよくて、こうしたらいいのでは? 程度の気持ちで書いている。
 あとはルールに付いても結構うるさいかもしれない。駅なんかで手すりで仕切られた階段の狭い方を混んでいるからと言って逆走している人を見たら不愉快だし、同じように降りる人がいるのに扉の真ん前で待っている人とかも見ていてやるせない気持ちになる。そういうのは意識しないでやっている人がいると思うので、万が一の確率で見て、そういった行為を改める人がいるかもしれない、程度の気持ちで書いてます。多分そういう人はこんなもの読まないだろうし、読んでも絶対に行動は改めないと思いますが。

 体調が優れないため、残業はせず定時で帰宅。昨日実家からもらってきたカレーを食べた。美味。今日のご飯はこれだけ。
 あとはパタポンを少しやって、昨日クリアできなかった所をクリアできたので満足して終了。このくらいで止めておくと楽しみが継続していい感じ。多分クリアするのにまだ2週間ぐらいかかる予定。
 そういえば今日、本当に久しぶりに人との会話でテレビの話題が出た。でも見てないので全くわからなかった。「どんな番組見てるの?」って見ている前提で聞かれるけれど私ぐらいの年齢だと見てない人の方が多いんじゃないだろうか。とりあえず「大河ドラマは見てます」とだけ言っておいた。「初音って名前がテロップで出た時はなんか笑いそうになっちゃいましたよ」とか言ってもきっとわかってもらえないんだろうな、と思う。こういうのをなんて言うんだろう。メディアギャップだろうか。