うまければいいというものでもない

 思いも寄らずに29時頃の就寝、そして、起きたら既にPMだった。休みだったので特に問題はないものの、一日を無駄にした気持ちはやはり大きい。寝るのが遅かったにしても、少々寝過ぎじゃないだろうか。ただ体調がまだ思わしくないので仕方ないか。体調悪いなら早く寝ろよ、という突っ込みは仰る通り。
 寝ないで何をやっていたのかというと、Fate/Zeroを読み始めた。昨日は1巻を2時過ぎに読み始めて、読み終わってから寝たのでそんな時間になったというわけ。いい加減読み始めたら読み終わるまで止められない自分を何とかすべきかもしれない。1巻を読み終わっての感想は「読まなければよかった」と「もっと早く読めば良かった」という2つの感情がない交ぜになったものだった。Fate/Zeroはゲーム版「Fate/stay night」以前の物語だ。だからFate/Zeroの経緯は知らなくても当然結果は知っているわけで、つまり物語中でどんな不幸があろうとも最終的には救われる事を知っているし、どんな幸福があっても最終的に不幸になることを知っている事になる。だから読みたいし、読みたくない。そんな感情を抱えつつも読み始めてしまったので遠からず最終巻まで読むことになるだろう。そして、衝動的に家のパソコンに「Fate/stay night」をインストールしてしまった。Fate/Zeroの結末は必ず不幸になる。だからこそ自分の中でそれを幸福にして終わらせるためにはどうしてもこれをプレイしなければならないため。

Fate/stay night

 私の持っているソフトはCD-ROM版なので、3枚組だし、音声もない(DVD版にあるのかどうかも知らない)。でも、こういうゲームは音声がないほうが個人的には楽しい。自分のペースで進められるので本と同じような感覚でプレイできるからだ。音声があるとキャンセルして飛ばすのが勿体ないような気がしてしまって駄目だ。最初から入っていなければそんなことを思うこともないので気楽に出来る。
 今日はインストールだけにして、Fate/Zeroが最後まで読み終わったらやることにする。

 起きた時間が既にかなりの時間だったけれど、出かける準備をして外に出た。土曜日、明日は特に自分が買う漫画が発売されることもなかったので今日の、しかも午前中に秋葉原に行って漫画などを購入したかったのだけれど全ての予定が崩れたので単なる散歩だ。私は何よりもラッシュの電車が嫌いなので、この時間に秋葉原に向かってしまうと帰りに巻き込まれるのでそれを避けることにしたからだ。小一時間ほど散歩をして、ご飯を外で食べて帰宅した。純粋な散歩は本当に久しぶりで、のんびり歩いているだけで楽しかった。空は今日も綺麗だ。
 帰って来てからはまたセブンスドラゴンをプレイ。レベルが37まで上がった。しかしながら多分イベントはそれほど進んでいない。前も書いたけれど私のパーティはサムライ、メイジ、ヒーラー、プリンセスの4人で、直接攻撃の主力は当然サムライになる。それなのに、今日初めてサムライが普通の剣よりも、刀を装備させないと弱くなることを知った。今まで特に意識して無く、攻撃力の高い物を装備させていたが、攻撃力80の刀を装備している方が攻撃力100の剣を装備させているよりも強かった。こういうのも何も見ずにプレイしているせいだとは思うけれど、ゲームとしてはそれで正解なので逆に嬉しかった。

 そしてFate/Zeroの2巻も読む。1巻を読んだ時ほどの衝撃はなかったけれど、相変わらず面白い。思わず作者(虚淵 玄)の情報をWikipediaで調べてしまったほど。本よりもゲーム(エロゲー)のシナリオを書いている人らしい。きっと全部読み終わった後にこの人がシナリオを書いたゲームを買ってしまうだろう、そんな予感がする。

 突然音楽の話。まぁ音楽だけじゃなくて芸術全般に言える話だけれど、「上手」であれば素晴らしいか、もっと言うと「売れるか」というと、それは間違いなく否だろう。そもそも芸術に対して「上手い/下手い」という事自体が無粋だけれど、例えば歌であればどれだけ音程から外れないか、テンポが守れているか、絵であればどれだけ実物(写真)に近いか、文章であれば文法的に正しいか、などが挙げられると思う。しかしそれらは芸術作品としての評価にはほとんど結びつかない。しかしながら、中にいる人ほどそれらを評価する傾向にあると思われる。特にプロとまで言わない、アマチュアな人ほどそう考えている傾向にある。だがそれらは「無ければならないもの」ではなく「どちらかと言えばあった方がいいかな」ぐらいのものに過ぎない。よく、売れているものに対して「あれは技術的にうんぬん」という人がいるけれど、全く筋違いの指摘をしている。と言うよりそれに囚われてしまうと、単なる独りよがりになるだけだ。もちろん「自分が満足するものを作りたい」だけなら(他人に迷惑をかけなければ)それで十分だが、世間に受け入れられたいのであればそれよりもまずどういった需要があるのかを調査し、需要があるものにアプローチするべきだろう。それでは自分の個性が無くなってしまう、と考える向きもあるだろうけれど、それくらいで無くなってしまうのならばそんなものは個性でも何でもないのではないだろうか。