止まった電車

 今日は久々に起きても頭が全く回っていない状態だった。29時半就寝、8時起床。原因はとある魔術の以下略を2冊連続で読んだため。もう何回もバカを見てるのに同じ間違いを繰り返している。本当にバカ。しかしラノベは面白かった。自分で言うのもなんだけれど、本を読みながら推理とかしないからどんでん返しが待っていても素直に楽しめる。
 朝起きてから会社に行くまでの記憶が断片的にしか残っていない。毎日朝はシャワーを浴びていて、今日もシャワーを浴びた事自体は覚えているが髪とか身体とか洗ったのか、コンディショナーはつけたのか、髭は剃ったのか、出てからドライヤーで頭を乾かしたのか、髪をとかしたのか、とかまるで覚えていない。電車に乗って窓に映る自分を見たら髪がバサバサになっていてものすごく恥ずかしかった。この分だと頭を洗ってちゃんと流したのかすら不明という有様。

 仕事は午前中は何とかなったものの、15時を過ぎてからは相当な生産性の低下を感じた。というよりまともに仕事にならなかった。ご飯を食べたら眠くなると考えていたので昼飯は食べなかったのだが意味がなかった。いや、意味はあったのかもしれないが、結局それでも最後まで持たなかった。今日は仕事にならんと判断し18時で退社。しかしながら電車が全く動いていなかった。振り替え乗車券をもらいバスに並んでいたところ同僚から電話。ご飯を食べに行くことに。
 もつ鍋が出るお店でもつ鍋を食べた。もつはずっと、就職するまで食べられなかったのだけれど、ここ数年で割とおいしく食べられるようになった。これは椎茸も一緒で両方とも就職するまでは食べられなかったのだけれど、就職してから一年後ぐらいにいつの間にか食べられるようになっていた。元々臭いの強い物、もつ、椎茸以外にもセロリや春菊なども食べられないのだが、どれも昔ほどではなくなった。「味覚が変わったんじゃないか」というのが周りの意見だけれど、個人的には鼻の感度が鈍ってきているのではないかと思う。思えばわさびにしても18を過ぎるまでは食べられなかった。みんなはお酒を飲んでいたけれど私は飲まないので久々にコーラなどを飲んだ。最近は「お酒を飲まない」のではなくて「(元から)お酒は飲めなかった」と考えるようにしている。そうすればお酒を飲みたいという気持ちも湧いてこないし、人から勧められた時も断りやすい。このままいけば一生飲まないかも知れない。

 世の中には他人に冷や水をかけることばっかりに腐心しているような、よくわからない人がいる。わかりやすく言うと「出る杭を打つ人」と言えばいいだろうか。自分では何かを主体的にすることは全くないのに、いざ他人がそれをやったり、やろうとしたりすると猛烈な勢いで叩く人だ。こういう人は自分はいいことをしている、とか自分の主張は間違っていない、と思い込んでいることが多いようだ。新しいことを始めようとしたり始めたりする時は手探りの状況であることが多いし、考慮していない部分も多いだろう。それに全方位に展開するわけでもないから弱い部分もある。だから間違いだとか弱い部分を指摘することはものすごく簡単だ。完璧な物など何一つないのだから無限にある弱い部分を1つか2つ持ち上げて、その部分を声高らかに非難する。相手は当然言い返せない。事実だから。そうやってその人は溜飲を下げているわけだ。それが何も生み出しはしないのに、小さな小さな、しかしはち切れんばかりに肥大した自尊心の為せる技だろう。
 こういう人達のやっている事は、口では大義名分があるようなことを述べてはいるけれど実体としては他人の足を引っ張りたいだけだ。いや、引っ張りたいのではなくて、駄目な自分より先に行かせないようにしているわけだ。
 だから何かをやろうとした時にいちいち周りの言うことに囚われてしまっては駄目だ。当然本質を突いた鋭い指摘もあるだろう。でもそれにすら耳を傾けてはいけない。それに耳を傾けたらきっと前に進めなくなる。だから自分だけを信じてとにかく進んでみることだ。進んでいけばきっと痛い目もみるだろう。でもそれがきっと財産なのだと思う。

 ご飯を食べて外に出たら雨は止んでいた。電車も10分ぐらい待てば乗ることが出来た。だから余計なルートを通ることなく帰る事が出来た。家に帰ってからは最近はまっているDDR Sをやったり、ニコニコ動画セガ関連の動画を見たりなど。この2つのことに数時間を費やしてしまった。あとはセブンスドラゴンの公式サイトにてちびキャラTALKを。しかし発売を明日に控えているのにまだ一人も攻略していない。1日に1キャラしか話せないし、攻略するには何日もかかるので実際のゲームには反映することは出来なそうだ。少し残念。
 とは言え明日には新しいゲームが手に入る事の喜びに比べたらそれくらい何でもない。大人になって金を稼ぐようになったらゲームを楽しみに待つなんて事はなくなるのだろうなぁと子供の頃に思っていたけれど、そんなことは全くなかった。嬉しい誤算だ。