個性は没個性の中に

 28時頃就寝、11時頃起床。今まで遅寝遅起をしていたのは今日のためで、今日は夜勤の日。夜勤の日ってのは純粋には夜勤じゃなくて2日間分連続で勤務する、17時間拘束の仕事。他の会社にこういう勤務形態があるのかどうかわからないけれど私の会社では結構普通にこんな感じだ。普段16時間ぐらい会社にいることはままあることだからそれほど辛くないような気がするかもわからないけど、夜中〜朝までの仕事は人はやっぱり夜寝て朝起きるように出来ているんだなぁと思わせるぐらいつらくて、普通に眠くてたまらない状態になる。

 朝ご飯に昨日買ったパンをオーブンで焼きながら食べた。砂糖のついたパンをオーブンで焼いてたらいつの間にか火がついていて、変な臭いを醸し出していた。そういえば砂糖は燃えるのか、と再認識。焦げてどうしようもなくなった部分だけを外して食べた。
 出発は13時頃になるため、ご飯を食べた後はのんびりとネットをチェック。色々なところを見て回ったけれど、個性について書かれているところが少し気になった。私が考える個性というのは、どんなに当たり前の事をしても、隠そうとしても、どうしてもにじみ出てしまうものだと思っている。例えば漫画なんかを挙げると絵を見ただけで作者がわかる、というような感じだ。アニメなんかも作画監督によってキャラに微妙な違いが出ると思うけれど、あれが個性だと思う。要するに世の中の見え方というのが個性だ。
 もっと言うと、世界の見方の壊れ方、が個性なのだと思う。同じ風景を見てもそれぞれの人によって思う事は違うけれど、平均を取ってみると大体こんなもんかな、というのが出てくる。そこからどれだけ離れているか、要するに同じ物を見て他の人が考えるのと全然違う事を考えるのが個性なのだと思う。
 どうも誰もやらないことをやるとか、誰も出来ない仕事をやることが個性的だと思っている人が多いような気がするけれど、それは結果であって個性的だから誰もやらないことをやっているわけではない。世界の見え方が違うから普通の人から見て変わった事をしているだけであって、やってる当人からすればそれは普通のことだ。
 個性の作り方というのは、恐らく没個性的なものからしか生まれない。誰もが出来るテンプレ的な仕事の中から、どうしてもにじみ出てしまうものを発見してそれをのばしていけば恐らく個性的になれるだろう。いきなりみんなと違う事をやろうとするのは間違っている。正確に言うと「みんなと違う事をやろう、とみんなと違う事をやる」のが間違っている。個性的な人は「みんなと同じ事をやろう、と思って『みんなと違う事』をしている」のだから。

 普段電車の中では本を読んでいることが多いけれど、新幹線に乗る時だけは携帯ゲーム機を持って行くようにしている。やらないことも多いけれど、暇つぶしの道具がたくさん無いと新幹線の中でやる事が無くなった時に困るからだ。だから小説なんかも2,3冊持って行くことが多い。1つ読んで面白くなかったら他の物に変えられるから。こういう風に、あれこれと予防線を張っておくと持ち物が非常に多くなる。遠くに行くなら荷物が少ない方が楽なのに、わざわざ荷物を重くしているので、ある意味これは修行なのかも知れない。