いつでも緑茶

 昨日の天気予報では雨の予報だったのに、それは外れて雨は降っていなかった。とは言え晴れていたわけでもなく、雨が降ることを予感させる曇りだった。寝たのは27時半頃、起きたのは8時。昨日のラノベは「狂乱家族日記」拾壱さつめ。うーん、どんどん佳境に入っていくなぁ、ようやく壱さつめの時と繋がってきたというか、全部の線が一つに繋がっていきつつあるけれど、これは壱さつめを書いた時からここまで考えてたのかな。何日も同じ事を言っている気がするけれど、最初から考えていたのだったら素直にすごいし、途中から考えたのだとしてもよく整合性がとれたなと思うので、結局すごいことに変わりがない。既刊の物は全て購入してしまったのでこれ以降は新刊を待つしか無くて寂しいところ。やっぱりいくらでも買う物がある方が私は好きだ。グイン・サーガなんかを買うのが合っているのかもしれない。100巻以上あるし。

 今日の仕事は打ち合わせと研修の予定だったけれど、打ち合わせはキャンセルになった。ステークホルダーの人が参加できなかったため。仕事ではこういうことが結構多い。というか仕事上で起きるミスのほとんどが肝心な人が仕様を決める時にいなかった、とかそういうことが多い気がする。ステークホルダーの人が全員集まって数時間話し合って決めればそれで完璧なのに、誰かが足りないばっかりに何倍も時間をかけて、結局穴があるような事が多い。私のやっている仕事と言うのは古いシステムを新しくすることで、古いシステムの仕様を知っている人があまりいないため、知っている人がいないとどう使うのかがわからない。機能として作ることは出来ても、それが古いシステムと同じように使えるかどうかが判断付かないのだ。三人寄れば文殊の知恵、という言葉があるけれど、役立たずが何十人寄っても役立たずに変わりない、という事もある。今回がいい例で、あくまで仕様を知っている人が数人集まれば確かに文殊の知恵も湧いてくるかも知れないが、何も知らない人が集まったところでそれっぽい物が出来上がるだけで、肝心の使い勝手みたいなものが悪く、結局作り直しになってしまう。だから本当はもっとみんなが古いシステムについて習熟していなければならなかった、と思う。反省だ。
 研修についてはそれほど酷い事もなかったけれど、作っていた資料をたくさん変える必要が出て来てしまったのでそれの直しをしなければならないのが大変と言えば大変なところ。しかし、いつの間にか自分はどちらかというと事務系に寄ってしまったんだなと思う。今やっている研修は技術的なものなのだが、何かをやろうとした時の懸念事項が事務的な事ばかり思いつくようになってしまった。
 例えば技術者ならプログラムが変な動きをしたら「ソースを見て直せばいい」と考えるだろうしちょっと読める人なら「ここをこう直せばいい」ということまでわかるだろう。でも私の場合は、「ソースが間違っているが、誰が直すべきか」とか、「問題処理票をきらなくては」とか「直した事による設計書の修正、試験のやりなおし、デグレの確認はいつやるか」とか「マシンタイムは抑えられるか」とかそういう事を考えてしまう。もちろんどっちも重要な事だとは思うけれど、入社した当初は「ここが悪いってわかってるのにどうしてすぐ直させてくれないのか!」と言っていた事を考えると、技術者の目を失ったのではなくて、少しは成長した、ということなのかもしれない。

 最近は定時で帰れることが多かったけれど、今日は少し残業して帰宅。ご飯はなんかよくわからないものを買って食べた。白身魚カルボナーラのソースがかかっているもの。まずくはなかったけれど、微妙としか言いようがなかった。そうそう、昨日切れてしまった緑茶の茶葉を買った。100gで2100円というそこそこいいお茶で、買ったらお店のおばちゃんが一口塩羊羹をくれた。私は羊羹が好きなので非常に喜んだらもう1つくれた。まるで孫とおばあちゃんみたいな感じだった。初めて顔を合わせたのに。
 2100円のお茶はやはりおいしく、しばし至福の時を過ごした。私は多分小学校低学年の時から「飲み物=緑茶」で育ってきたので飲み物の中で一番好きなのは緑茶だ。子供の頃からジュースなどはほとんど飲んだことがないので、大人になった今でもジュースを飲むことはほとんどない。たまに眠くてたまらない時にコーラを買って飲むことがある程度で、それ以外はコーヒー、紅茶ぐらいしか飲まない。夏も冬もなくいつも緑茶を飲んでいたし、緑茶が好きなので私の中では一年中緑茶の季節と言っていい。
 緑茶は基本的に値段が高い方がいいお茶なのだが、デパートなどで買う時には「高い物を贈る」という目的のために高い品物がある。要するに味うんぬんじゃなくて贈られた相手に対してお金をかけてます! と主張するためのもので、これは値段の割にそれほどおいしくない。だから毎日飲むようなお茶は、なるべく高く、それでいてあまり派手な感じがしないものを買うのが失敗しないために効果的だろう。おいしいお茶はこの世の中で一番おいしい飲み物だと思う。ただ、そういうお茶の味は自分では出すことができなくて、人に淹れてもらったお茶を飲むとそういう味がする時がある。だからお茶というのは単に茶葉のグレードだけではなくて、淹れる人の気持ちなんかも大切なのかもしれない。