どんとびーえびる

 27時半ごろ就寝、8時起床。昨日のお友達は相変わらずの「狂乱家族日記」の拾さつめ。相変わらず物語は進んでいるし、謎は解決しているけれど、謎の数は全く減らない。何かが1つわかると、別のわからないことが1つ増える、みたいな感じ。うまく出来てるなぁ。それに、普段からシリアスなものよりも、普段はおちゃらけた雰囲気の話なのに急にシリアスになるとグッと引き込まれる。読んでて思わず鳥肌が立ってしまった。すごい。
 天気は今日も雨。えーい、天よ、降るならもっと勢いよく降れぃ! といいたくなるような遠慮した振り方。こんな風な天気が続くならすっぱりと一日だけ大雨が降ってくれる方が望ましいな。でも農業をやっている人だとか、庭で植物を育てている人にしてみたら今日のように朝ちょろちょろっと降って午後は止む、という形は水遣りなんかもせずに済むので望ましいだろう。午後晴れて日差しが差し込むのならきっともっと望ましいのだろうけど。
 今日は雨でも電車の遅延などなく、いつもどおり、そういつもどおりとなってしまったように、始業時間ギリギリに会社に赴いた。
 仕事は谷間の日、明日以降は忙しい、昨日まではやることがあった、ということもあって、非常に暇だった。メールで問い合わせを行い、その回答を待っていたり、または資料の印刷をしたりなど、本当に特筆すべきことは何もないような仕事をしていた。恐らく作業量だけで言えばファーストフードのアルバイトの人が1時間のうちにやる作業分ぐらいしかしていないように思う。

 ちょっと抽象的な話。「○○はしない」という宣言がある。例えば「悪いことはしません」とかそういう感じだ。こういう台詞を述べる場合、すでに「悪いこと」を意識しているのでそれをすでにやってしまったか、将来にわたってやる可能性があることを示唆しているのだと思う。やるわけがないなら言う必要なんてどこにもない訳で、宣言している時点で既に何か良くないこと、後ろ指をさされるような事をやっている証拠だろう。いつだって「もう悪いことはしません」という人は悪いことをした人なのだ。
 本当に悪いことをしたことが無い人は「悪いことはしない」何てことは決して言わない。関心の埒外なのだからそういう発想がわかないはずだ。だから一見美麗字句に聞こえる「悪いことはしない」「決して裏切らない」「悲しませたりしない」などの言葉を言う人がいたら要注意だ。言葉で騙そうとしているか、自分に酔っているかどちらかということになるのだから。

 夕飯は帰りに「オリジン弁当」に寄ってお総菜やサラダをチョイスして買って帰った。私、恥ずかしいことにこのお店、ずっと何か宗教的なものだと思ってたんですよ。何でそう思ったのかも今では思い出せないのだけれど、宗教的な物だから近づいちゃ駄目だ、って本気で思ってた。一人暮らしを始めてから、オリジン弁当だと知らずに店に入って、お総菜を買って家に帰って食べた後にレシートを見て(家計簿付けてるから)初めて気付いた。そして、「なんだ、ただのお弁当屋じゃないか」とわかってそれからはちょくちょく買っている。誤った固定観念に囚われるのって本当に怖いことだ。きっとこんな勘違いがまだまだいくらでも自分にはあるのだろう。自分の考えにこだわらず、色々と挑戦して何かにはなるべくこだわらないようにしたい。