日記はじめます

日記的な物を書き始めようと思ったので書くことにする。
ただ、いつも使っているブログはテーマが既に決まってしまっていると思われるので別のサイト(ここだ)に書くことにした。

何故今更日記を? そんなのチラシの裏にでも書いてろ! という声もあると思う、
実際今まではそうしていた。チラシの裏ではないけれど、日記帳を持っているのでそこに手描きで記入していた。それをWeb化するというだけの話だ。
Webで公開しようと思った理由というか思い至ったには2つのものが影響している。1つは「うみねこのなく頃に」、もう1つは「MORILOG ACADEMY」だ。
うみねこのなく頃にの第4話(最新エピソード)に、他人(故人)の日記からその書いた人間の人格を再現するという描写がある。それを作品内では魔法と言っていたけれど、実際にそれは魔法か、もしくはそれに近い物だと思う。例えば私が「今日は公園に行った。そこにはブランコが置いてあって、周りに誰もいなかったので10年以上ぶりに乗ってみた。久しぶりすぎて最初はうまくこげなかったけれど段々調子を取り戻して大きくこげるようになった。風をきるごとに爽快感を感じる。ただ、段々大きくなる振り子の運動に次第に怖くなり、こぐ大きさをゆるめてしまった。子供の頃はもっと高く、もっと高くと力一杯こいでいて全く怖くなかったのに今は何故こんなにも怖く感じてしまうのだろう」というような事を書いたとする。するとそれを読んだ人はいつでもその時の私を再現することができる。その人が読むたびに爽快感を感じつつも怖かった、という私を召喚することが可能だ。
ただ、愛がなければ見えない。これもうみねこのなく頃にで出て来た話だけれど、愛がなければ私をきちんと召喚することは出来ない。例えば私が「アフリカの首長族の村に行って現地の人と仲良くなり、一緒にダンスを踊った」と書いたとする。私に好意を持っている人(愛がある人)はそれを事実だと思って読むし、それが嘘だと思っても微笑ましく思うか何か別の事をほのめかしているのかもしれない、と好意的な解釈をしてくれる。逆に私のことが嫌いな人(愛がない人)は「嘘だ!」と決めつけるかもしれないし、仮に本当だと思ったとしても「そんなところに旅行だなんて金があっていいな」とか「時間があっていいな、こっちは○○だっていうのに」などと言う。そうするともう私の事を召喚する事は不可能になってしまう。要するに読む側の気持ちによって書いてあることはいくらでもねじ曲がって解釈されてしまうということ。書いてあることを書いてある通りに読むには(うみねこのなく頃にで言う)愛がなければならないということ。

もう一つの「MORILOG ACADEMY」は作家の森博嗣先生が去年の年末まで毎日更新していたブログというか日記のような物。私はこれが好きで、毎日閲覧していて、これは本になってもいるのでそれを購入して読んでいたりする。
それを読んでいて気付いたのだけれど、書いた時期はもうずっと過去のことなのに、読んでいる側からすると森先生が今そう思った事が書いてあるかのような錯覚を受ける。その日に起きたこと、その日に考えたことをその都度書いてあるだけなのに、読んでいるこちら側としては考えさせられることもあるし、「それはどうなのよ」と思うこともあるし、「その通り」と思うこともある。いずれにしても確かなのは多大な影響を受けているということ。
他人の日記によってこれだけためになる、と言うことは私の日記も公開しておけば他人にとって多少役に立つことがあるかもしれない、そう思った。もちろんプロの文章と素人の文章が同等なわけはないが、例えば私が「AということについてBだと思っていたけれど本当はCだと言うことが調査の結果わかった」と書いた場合、誰かが検索してきてそれを見ることで調査の時間が短縮されるかもしれない。それが事実の場合でもそうでなくても、何らかの対象について、私がこう考えてこう結論づけた、と書いておくことは誰かの役に立つこともあるかなと考えたのだ(もちろん全く誰の役にも立たない可能性もあると思う)。

私が影響を受けた「MORILOG ACADEMY」も去年で終了してしまった。だからというわけでも何でもないけれど、自分は日記を公開しよう、そう思ったという話。
紙の媒体に書いた日記は私しか読まないし、他の人には読んで欲しくないけれど、Web上に書いておけば仮に私が死んだ後でもそこには生きている私が残せるわけで、そういうのもありかな、なんて思っただけの話だったりもする。
そんなわけで書くことにしたのだけれど、多分書き方は「MORILOG ACADEMY」そっくりになるような気がする。当然それのように気の利いたことは全く書けないけれど、Web上の日記、というとそれが一番素晴らしいと今のところ思っているので真似るというのが当然だというだけの話。きっと書いているうちに自分流に変わっていくと思う。その辺は気楽に考えていたりする。
あとは日記なので間違っている事もあるし、同じ事を何回も書くこともあると思うし、まぁ知らず知らずのうちに誰かを怒らせる事を書くこともあるかもしれない。でもまぁその辺は単なる個人の日記なので、あまり気にしないでもらえたらなと思う。私には特定の誰かを怒らせる意図はない。ただある種の人は怒るかもな、と思いながら書く文章はあるかも知れない。

昨日は25時半頃就寝、5時20分起床。一度目の目覚ましで起きられず、電車をいつもより一本遅らせて会社に向かった。普通に寒くて軽く泣きそうになる。ただ、明け方の月は綺麗だった。やっぱり寒い方が空が綺麗に見えるように思う。
駅に到着後朝飯を購入。パンを2つとコーヒー。別にパンが好きだというわけでもないのだけれど、コンビニでご飯を買うと、大抵パンになる。おにぎりに比べて大きさが上だと感じるからかもしれない。もしくはコンビニのお茶が好きじゃないからご飯にしないのかもしれない。家で入れるものに比べたら緑茶もコーヒーもコンビニで買う物なんて全く味が違うと思うけれどまだコーヒーの方が我慢できる味。
仕事については特筆するほどのことはなし。ただシステム切り替え間近なのに、非常に慌ただしい事が気にかかる程度。自分の旅行などの経験からして、直前にバタバタしていると、大抵当日に何か忘れたりすることが多い。だからこうやってバタバタしているのを見ると、当日に不具合が発生することがあるのではないかと不安になる。
まぁ多かれ少なかれミスは残ったままになると思う。それが軽微な物でシステムの切り替えには影響が無いかも知れないし、影響があって切り戻しすることになるのかもしれない。ただ、いかに何度も練習しようと本番になってみないとわからない、ということは多々あるのでその辺は仕方がないと思う。それにソースコードからバグが永久になくならないのと同じように何らかの不具合は常に残っているはずなのでそれを事前に全て潰すのは不可能だと思う。いずれにせよ不具合が0になるように作るよりも不具合が起こった時にどうするか、と言うことを考えていた方が良いと思う。
また、どうせ間違いが内包されているのであれば、一番最初に顕在化して失敗してしまった方がいいとも思っている。これは後で判明した場合には過去にさかのぼって治す必要があるけれど、最初に見つかっていればそれ以降は安心になる(可能性が高い)から。また、相手に対する影響度合いからしても最初は悪かったけれど良くなってきた、という方がよっぽどいい。朝三暮四。

ところで、仕事をしているとよく他の部署(大抵は人事部)から何か依頼が来たりする。大体は研修に参加してくれだとか、あとは新入社員向けのイベントに参加してくれという話。他の部署との交流(と言っても私は個人的な話は全くしないけれど)は良いこと(少なくとも自分の部署に籠もっているだけよりはという意味)だと思うので積極的に引き受けようとするのだけれど、上司に話すとすぐ「自分の仕事をきっちりと終わらせてうんぬん」という事を言われるけれど、それは間違っていると私は思う。
そもそも割り込みでそういったイベントが入ってくるのだから「自分の仕事はきっちり終わらせて」なんて言っていたら参加など出来る訳がない。仕事の割り当てはそんなことを意識してされていないし、会議などのイベントもそんなことは考慮されていないからだ。
そうではなくて、自分に割り当てられている仕事を多少他人に負担してもらうか、もしくは今ある仕事の締め切りを多少後にずらす、そういう風にするのが本来の筋だと考えるがいかがか。

 明日は朝から仕事のため、17時頃に会社を出て名古屋に移動。新幹線の中はサラリーマンでいっぱい。靴を脱いでいる人がそこそこいたけれど、気持ちはわかるが周りを不快にすることは間違いないので止めた方がいいかと。
 名古屋は東京よりも寒かった。当初はホテルに荷物を置いた後、名古屋っぽい物を食べに行こうと考えていたけれど、あまりの寒さにホテル近くのマックで久々にマックを購入。なんというかマックの方針が意味がわからないため、もう二度と行かないことを心に決めた。詳細はTwitterあたりに書いた通り。
 明日は8時半から仕事のため、早めに寝ようと心に決める。まぁ家じゃないので出来ることはそれほどないため、心配するほどの事でもない。